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東京地方裁判所 平成6年(ワ)19358号 判決

原告

鈴木晶彦

ほか二名

被告

渡辺和人

ほか一名

主文

一  被告渡辺和人は、原告鈴木晶彦に対し金二五〇四万一二六五円及びこれに対する平成五年八月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告渡辺和人に対するその余の請求及び被告三菱製鋼株式会社に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用のうち被告三菱製鋼株式会社に生じたものは原告らの負担とし、その余のものは、これを四分し、その三を原告らの、その余の被告渡辺和人の各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一原告らの請求

一  被告らは、各自、原告鈴木晶彦(以下「原告晶彦」という。)に対し金一億〇三九六万四〇九〇円、原告鈴木正(以下「原告正」という。)及び原告鈴木晴子(以下「原告晴子」という。)に対しそれぞれ金一〇〇万円並びにこれらに対する平成五年八月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用の被告らの負担及び仮執行宣言

第二事案の概要

一  本件は、中央分離帯の植え込み部分から、道路を横断しようとして出てきた七歳児が普通乗用自動車に衝突され、傷害を負つたことから、同人及びその両親が、運転者に対しては民法七〇九条に基づき、運転者の使用者に対しては民法七一五条及び自賠法三条により、その人的損害の賠償を請求した事案である。

二  争いのない事実

(本件交通事故の発生)

1 事故の日時 平成五年八月二〇日午後三時五五分ころ

2 事故の場所 東京都江東区潮見一―一四―一〇先路上

3 加害車両 被告渡辺和人(以下「被告渡辺」という。)が運転する普通乗用自動車(足立五四せ九四九四。以下「渡辺車」という。)

4 被害者 原告晶彦

5 事故の態様 原告晶彦が、本件事故現場の南に位置する都立潮見公園からの帰宅途中に、道路を南から北に向かつて横断しようとしたころ、渡辺車の右前部が同原告に衝突した。

三  争点

本件の争点は、被告らの責任の有無、過失相殺及び原告らの損害額であり、双方の主張は次のとおりである。

1  被告らの責任の有無

(一) 原告らの主張

(1) 被告渡辺の責任

被告渡辺は、制限速度を遵守し、前方を注視して走行すべき注意義務があつたにもかかわらずこれを怠り、制限速度時速四〇キロメートルを越えた時速七〇キロメートルで走行し、かつ、前方を注視しなかつた過失があるから、民法七〇九条に基づき、本件事故により原告らに生じた損害を賠償する責任がある。

(2) 被告三菱製鋼株式会社(以下「被告会社」という。)の責任

被告会社は被告渡辺の使用者であるところ、被告会社は、被告渡辺が渡辺車を通勤及び業務の遂行のために使用することを認め、また、同車両をして被告会社の運行の用に供していたものであり、被告渡辺は、本件事故当時、被告会社からの帰宅途中か、又は、同被告の業務執行のために、渡辺車を運転していたのであるから、被告会社は、自賠法三条又は民法七一五条に基づき、本件事故により原告らに生じた損害を賠償する責任がある。

(二) 被告ら

(1) 被告渡辺の責任

被告渡辺は、以下のとおり、民法七〇九条に基づく責任を負わない。すなわち、本件事故現場は中央分離帯のある横断禁止道路であり、その直近に横断歩道が設置されていること、本件事故現場付近は、工場や倉庫が立ち並ぶ準工業地域であること、原告晶彦が飛び出してきたのは、通常横断が困難な幅二・九五メートル、高さ九〇センチメートルの植え込みからであること、本件車両を運転中の被告渡辺の低い視線の位置から、高さ九〇センチメートルの右植え込み越しに、七歳の児童の存在を確認することは不可能若しくは著しく困難であること等に照らすと、被告渡辺が原告晶彦が右植え込みの陰から突然飛び出すことは予見不可能である。また、本件事故は、原告晶彦が渡辺車の直前に飛び出してきたため被告渡辺においてはブレーキをかける暇もなく衝突したというものであり、仮に、同被告が原告晶彦の飛び出しを予見できたとしても、衝突を回避することは不可能であつた。したがつて、被告渡辺には前方注視義務違反の過失はない。

また、事故当時の渡辺車の速度は時速六〇キロメートル程度であつたが、仮に被告渡辺が制限速度である時速四〇キロメートルを守つて走行していたとしても、原告晶彦の飛び出しが直前であり衝突を免れないのであるから、被告渡辺の速度違反の過失と本件事故との間に因果関係はない。

(2) 被告会社の責任

被告会社は、以下のとおり、自賠法三条又は民法七一五条に基づく責任を負わない。同被告は、社内規則により、原則として、従業員の自家用車による通勤及び自家用車の業務使用を禁止し、例外的に、交代勤務者で遠隔地居住のものに限り、所定の「駐車場利用願い」を提出させ、これを審査した上で、「駐車許可証」を交付することとし、右許可証を車内に備え置いて表示しなければ、自家用車による通勤を認めないこととしている。右規則は、新入社員教育の際に告知されるほか、各職場でも毎年その旨の通知が掲示され、かつ上司が口頭で告知することにより、周知徹底されている。そして、被告会社は、従業員に対して公共交通機関の定期券現物を支給し、さらに従業員の通勤のため、駅と会社の間に定期的にバスを運行させ、従業員の通勤の便宜を図つている。被告渡辺は右駐車許可を得ておらず、被告会社は、被告渡辺に対し、その居住する独身寮からの通勤定期券を支給していた。そして、被告渡辺は、渡辺車を、本件事故のわずか一一日前の平成五年八月九日に手に入れ、被告会社に無断で通勤に使用し始めてから九日目に本件事故を引き起こしたのであり、被告会社は、被告渡辺が自家用車による通勤をしていたことを把握しておらず、また把握することは不可能であつた。さらに、本件事故は、被告渡辺が勤務明けで帰宅途中に惹起したものであり、被告会社の業務執行中に生じたものではない。このように、被告会社は、被告渡辺に対し、自家用車による通勤を認めた事実はなく、まして、同車を業務に使用させていた事実もないから、被告渡辺の本件事故当時の渡辺車の運転は、同被告の自由な活動によるものであり、被告渡辺による本件事故当時の渡辺車の運行は、被告会社のための運行ないし業務執行ということはできない。

2  過失相殺

(一) 被告らの主張

本件事故現場が横断禁止道路であること、工場や倉庫が立ち並ぶ準工業地域であること、僅か五、六十メートル先には横断歩道が設置されていることからすれば、原告晶彦は、迂回して右横断歩道を使つて横断すべきである。また、横断歩道でない部分を横断しようとする以上は、同原告は、植え込みの端に立ち止まつて、走行してくる車両の有無を確認すべきである。また、原告正及び同晴子は、同晶彦が本件事故当時七歳の児童であつたことから、いずれも親権者として交通法規を守るよう、十分教育監督すべき義務があるにもかかわらず、これを怠つた。以上からすれば、仮に被告渡辺に過失が認められたとしても、原告側には少なくとも九割の過失がある。

(二) 原告らの主張

被告らの主張を争う。

3  損害額

(一) 原告らの主張

(1) 後遺症の程度

原告晶彦は、本件事故により、外傷性くも膜下出血、髄膜炎による意識障害、左上肢及び下肢の運動麻痺による機能障害並びに体幹機能障害の傷害を負つた。CT上、脳室が拡大し、脳波異常も認められた。更衣、入浴及び排泄は介助が必要であるほか、運動性構音障害、音声障害、記銘力低下が認められた。以上からすると、同原告の後遺症の程度は、後遺障害別等級表三級に該当し、その労働力喪失率は一〇〇パーセントとするのが相当である。

(2) 入院付添費 五七万五〇〇〇円

東京都立墨東病院等における入院期間一一五日につき、一日当たり五〇〇〇円。

(3) 入院雑費 二九万一二〇〇円

全入院期間二二四日につき、一日当たり一三〇〇円。

(4) 歩行補助器具代 七二万四四四七円

〈1〉 平成五年分 五万四六一五円

〈2〉 平成六年分 四万三五六八円

〈3〉 平成七年分 四万五四五一円

〈4〉 一〇歳から一八歳までの分 三二万三〇五六円

〈5〉 二〇歳から七六歳までの分 二五万七七五七円

(5) 将来付添費 二八〇八万八九四〇円

六七年間につき、一日四〇〇〇円。

(6) 入療費 六万一六〇〇円

北療育医療センター分。

(7) 後遺症逸失利益 五七八〇万二九〇三円

一八歳から六七歳まで、年収五四四万一四〇〇円、労働能力喪失率一〇〇パーセント。

(8) 後遺症慰謝料 一七〇〇万円

三級相当。

(9) 入院慰謝料 二五八万円

東京都立墨東病院及び北療育医療センターへの入院期間の合計二二四日間。

(10) 近親者慰謝料 二〇〇万円

原告正、同晴子につき、それぞれ一〇〇万円。

(11) 損害の填補 六一六万円

自賠責保険金、九級相当。

(12) 弁護士費用 計三〇〇万円

(二) 被告らの主張

原告らの主張を争う。

第三争点に対する判断

一  被告渡辺の責任の有無

甲一、四の4ないし四の9、七ないし一〇(枝番を含む)、乙一及び二(枝番を含む。)、八の1ないし6、被告渡辺本人に前示争いのない事実を総合すれば、次の事実が認められる。

1  本件事故現場の道路は、三ツ目通りと明治通りを結ぶ、歩車道の区別のある、片側二車線、幅員二〇・九五メートルの道路であり、中央部には、幅二・九五メートル、高さ九〇センチメートルの分離帯がある。右中央分離帯は、車道面から二〇センチメートルの高さのアスフアルト上に、高さ七〇センチメートルの植え込みが埴栽されているものである。本件道路は、横断禁止、駐車禁止道路であり、その最高速度は時速四〇キロメートルに制限されている。道路は直線であり、平坦でアスフアルト舗装されていた。本件事故当時、路面は乾燥し、見通しは、前方は良好であつたが、明治通りに向かう道路の左端には、駐車車両があつた。

被告渡辺は、平成五年八月二〇日午後三時一五分ころに被告会社での勤務を終え、帰宅のため、渡辺車を運転して、本件道路を明治通り方面に向かつて走行していた。被告渡辺は、明治通り方面に向かう車線(以下「本件車線」という。)のうち、第二車線を走行していたが、第一車線には、駐車している車両が多かつたため、左方から何か出てくるのではないかと思い、進行方向左側を注意していた。同被告は、同日午後三時五五分ころ、本件事故現場にさしかかつたが、その際の渡辺車の速度は、時速六〇キロメートルから七〇キロメートルであつた。当時、交通は閑散であり、本件車線は、同車両が先頭を走行し、後ろを三、四台の車が走行している程度であつた。また、三ツ目通りに向かう反対車線(以下「反対車線」という。)には、二、三台程度の車両が走行している程度であつた。被告渡辺は、別紙現場見取図の〈1〉の地点まで来たとき、反対車線の前方に路上駐車された数台のトラツクがあり、その陰、すなわち同図面の〈甲〉の地点に、小学生と思われる子供二人が立つていることに気付いた。同被告は、右子供に目を奪われ、同図面の〈2〉の地点に至つて正面に視線を戻したところ、中央分離帯の植え込みの間の、同図面の〈ア〉の地点から、原告晶彦が駆け足のような姿で飛び出してくるのを発見した。そこで、同被告は、ハンドルを左に切つて衝突を避けようとしたが、間に合わず、本件車両が同図面の〈3〉の地点まで進んだところで、同図面の〈イ〉の地点に出てきていた晶彦と、同図面の〈×〉の地点で衝突した。渡辺車のフロントガラスは、右衝突によりひびが入り、被告渡辺は前方が見えなくなつたため、止まらなければいけないと思つて、直ちにアクセルを踏むのを止めてブレーキを踏んだところ、渡辺車は、同図面の〈4〉の地点で停止した。右〈1〉の地点から、右〈×〉の地点までの距離は、二二・七メートルであり、右〈3〉の地点から、〈4〉の地点までの距離は、四六・三メートルであつた。現場にはブレーキ痕が残されていなかつた。

同日、原告晶彦は、六歳の妹一人及び近所の子供とともに、本件事故現場の南方に位置する東京都立潮見公園へ遊びに行つたが、自宅が本件道路を挟んで反対側にあつたため、自宅へ帰るため、本件道路を横断しようとした。原告晶彦は、反対車線を横断し、中央分離帯の植え込みを踏みつぶしてできた、幅三〇センチメートルの獣道のような隙間を通り、別紙現場見取図の〈ア〉の地点から本件車線を横断しようとして、同の図面〈イ〉の地点まで進んだところを、渡辺車に働突された。右事故現場から明治通り方面へ約一五〇メートル以上離れた場所及び右事故現場から三ツ目通り方面へ約八二・五メートル以上離れたところには、本件道路の横断歩道があつた。同原告は、本件事故当時、明るい緑色のTシヤツと半ズボンを身に付け、虫取り網と虫籠を持つていた。同原告の本件事故当時の身長は、一二五センチメートル程度であつた。

2  前記の事実によれば、被告渡辺は、本件道路を、その制限速度である時速四〇キロメートルを二〇キロメートルから三〇キロメートル越えて走行し、また、右〈1〉の地点から〈2〉の地点まで進行する間は、右甲の地点にいた子供に目を奪われていたというのである。そして、右〈1〉の地点から衝突地点である右〈×〉の地点までの距離が二二・七メートルであり、時速四〇キロメートルの場合の停止距離が、道路の摩擦係数を〇・七、空走時間を〇・八秒とすると、一七・七二メートルであることからすれば、被告渡辺が右〈1〉の地点で、甲の地点の子供に目を奪われることなく、前方を注視していれば、反対車線を横断し若しくは前方の中央分離帯の植え込み内にいた原告晶彦を発見することができたはずであり、また、同晶彦を発見すると同時に直ちに急ブレーキを掛けていれば、同晶彦と衝突することなく停車することができたということができる。

したがつて、被告渡辺には、速度違反及び前方注視義務違反の過失があつたというべきである。

二  過失割合

前記一2で認定したとおり、被告渡辺には、速度違反及び前方注視義務違反の過失が認められるが、他方、前記一1のとおり、原告晶彦は、本件事故当時七歳の小学二年生であつたところ、横断禁止の規制がされ、歩車道の区別のある、幅員二〇・九五メートルの幹線道路を横断しようとしたこと、同晶彦は、本件道路の中央に設けられた幅二・九五メートル、高さ七〇センチメートル(路面からの高さは九〇センチメートル)の植え込みから、被告渡辺の進路上に出てきたこと、同晶彦の身長は、本件事故当時約一二五センチメートルであり、右植え込みよりは五五センチメートル程度高いものの、同原告が緑色のTシヤツを着ていたことを考慮すると、仮に被告渡辺が別紙図面の〈1〉の地点から前方を注視していたとして、そのとき原告晶彦が中央分離帯の植え込みの中にいたとするならば、右のような植え込みの中にいる原告晶彦を発見するのは相当程度困難であり、また、右のような中央分離帯の植え込みから児童が出てくることは、通常予想しない事態であることなどの事情も認められ、これらの事情をも総合考慮すると、原告晶彦と被告渡辺の過失割合は、四対六とするのが相当である。

三  被告会社の責任の有無

1  証拠(乙三ないし七(枝番を含む。)、九、一〇、証人石田勇、被告渡辺本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

被告会社の東京製作所は、本件事故当時、その工場内の敷地が狭いことから、原則として従業員の自家用車による通勤を禁止しており、従業員がその自家用車での通勤を希望する場合には、「駐車場利用願い」と題する文書に必要事項を記載して、会社敷地内の駐車許可を受けた後、被告会社から配付される駐車許可証を車両前部に添付して表示しなければ、被告会社東京製作所へ自家用車で通勤し、これを構内へ乗り入れ、駐車することを認めないこととしていた。例外的に、同被告は、三交替制の職場に勤務する従業員のうち、特に午後三時三〇分から翌日の午前二時三〇分までの時間帯(中番)に勤務する者で、かつ、遠距離通勤者については、帰宅の際には最寄り駅からのバスがないことが多いことから、自家用車による通勤を認めていた。本件事故当時、自家用車による通勤を認められた従業員は約一〇〇名であつたが、これらはいずれも交替勤務者で、遠距離通勤者であつた。被告会社の東京製作所では、従業員に対し、自家用車による通勤を規制していることを、新入社員教育の際に説明していたほか、職場の掲示板にもその旨を掲示していた。同製作所では、従業員の交通費として定期券を現物支給していたほか、通勤時間に合わせて、最寄り駅と同製作所の間の定期バスを運行していた。被告会社は、任意保険に入らなければ駐車許可をしないという取扱いをしていた。また、被告会社が構内への駐車を許可した従業員の自家用車が、被告会社の事業のために使われることは殆どなかつた。

被告会社の東京製作所の駐車場は、社有車用、来客用、従業員用、業者用に分かれており、全体で一〇〇台程度が駐車できるようになつていた。そのうち、従業員用のスペースは五、六十台あつた。駐車許可を得ていた交替勤務者は、三交替制の勤務者であつたが、一台分の駐車スペースにつき三名に駐車許可を与えると出勤及び退社時間帯が重なるところがあるため、一台分の駐車スペースにつき、二名に駐車許可を与えていた。右のとおり、来客には来客用の駐車スペースがあつたが、来客が従業員用の駐車場に車を停めることもあつた。来客の車に対し、駐車許可証を与えることはしていなかつたため、駐車許可証なくして構内に駐車されている車両が、来客のものであるか、あるいは駐車許可を得ていない従業員のものであるかは、一見したところは区別がつかないが、被告会社では、実際上、来客は出入口近くの駐車場に停めることが多く、他方で出入口付近でない駐車スペースに駐車している車両は従業員のものであることが多いことから、それらの従業員のものと思われる車両について、毎月一回程度、守衛が構内を巡視する際、駐車車両の許可証の有無をチエツクする方法で、従業員による無断駐車の有無をチエツクしていた。構内に入ろうとする車について、入口で駐車許可証の有無をチエツクすることは、被告会社の東京製作所前の道路に渋滞をきたし、そこを通行する都バスの運行にも支障がでることから、なされていなかつた。

被告渡辺は、平成四年四月一日、被告会社に、その子会社である三菱製鋼室蘭特殊鋼株式会社に、平成六年六月から出向する予定で、採用された。被告渡辺は、平成三年九月の採用面接時には、自動車の運転免許を持つていなかつた。同被告は、採用された後東京製作所に勤務し、溶けた鉄を鋳型に注入する仕事をしていた。右仕事に、車の使用は必要がなかつた。また、被告渡辺は、仕事のために、東京製作所外に出ることはなかつた。同被告は、入社当時以来、本件事故当時に至るまで、西葛西駅近くの被告会社の独身寮に住んでおり、当初は、西葛西駅から木場駅まで電車で、木場駅から東京製作所までは会社の定期バスで通勤していた。その通勤時間は、独身寮から西葛西駅までが徒歩で約一分、西葛西駅から木場駅までが地下鉄東西線で約七分程度、木場駅から被告会社東京製作所までが被告会社の定期バスで約一〇分程度の、合計一七分程度であつた。被告渡辺には、平成四年八月当時、西葛西から門前仲町までの定期券が現物支給されていた。右独身寮は被告会社の東京製作所に近いため、その寮から、右東京製作所に通勤している者で、自家用車による通勤を認められている従業員はいなかつた。被告渡辺の勤務時間は、午前七時三〇分から午後三時三〇分までの時間帯(上番)であり、中番ではなかつた。

被告渡辺は、渡辺車を、レジヤー用及び室蘭特殊鋼株式会社に出向するためにいずれは必要になることから購入することとし、同年八月九日に入手した。被告渡辺は、自家用車による通勤が原則として禁止されていることは、新入社員教育を受けて、知つていた。同被告は、自家用車で通勤する他の従業員で、別の寮に住んでいる者から、被告会社東京製作所までの道を教えてもらい、同月一〇日から通勤に使い始めた。本件事故が発生したのは、被告渡辺が渡辺車を通勤に使い始めてから、八日目のことであつた。同被告は、本件事故当時、未だ任意保険に加入していなかつたが、二〇日の給料日に金が入つたら加入するつもりでいた。同被告は、自ら探して賃借した駐車場に車を保管していた。同被告は、駐車許可証がないと、会社内の駐車場には停められないことを知つていたにもかかわらず、無断で駐車していた。もつとも、いずれは通勤許可届けを出す積もりではいた。同被告は、他に、通勤許可届けを出さずに通勤していた従業員がいたかどうか、また、駐車許可証を置かずして停めていた従業員の車があつたかどうかは知らなかつた。駐車場は空いていれば停めていいなどと聞いたことはなかつた。もつとも、同被告は、本件事故に至るまで、無断駐車につき、注意を受けたことはなかつた。

2  右認定の事実によると、被告会社の東京製作所は、原則として従業員の自家用車による通勤を禁止しており、例外的に、中番の交替勤務者でかつ遠距離通勤者約一〇〇名に対しては、自家用車による通勤を認め、駐車許可証を配付していたところ、被告渡辺は、中番ではなく、また、遠距離通勤者でもないのであつて、自家用車による通勤の許可を得る条件は備わつておらず、また、実際にその許可を申請したことはなく、したがつて、自家用車による通勤の許可を得て、駐車許可証を与えられたこともなく、むしろ、その居住する寮から勤務先までの定期券の現物支給を受けていたというのである。加えて、被告渡辺の従事していた仕事内容が、何ら車の運転と関わりのない、鉄を鋳型に注入することであつたこと、また、仕事をするために被告会社の東京製作所を出ることもなかつたこと、被告会社の東京製作所においては、月一回、守衛が巡視の際に、従業員による無断駐車を調べていたこと、本件事故は、被告渡辺による無断通勤、無断駐車が開始されてから八日目に発生したことからすれば、本件事故当時の被告渡辺の自家用車による通勤は、いわば、同被告が自己の便宜のために、被告会社とは無関係に行つていたことであつて、被告会社の業務の執行について行われていたと見ることは不可能であり、また、被告会社が渡辺車の運行を支配し、その運行から利益を得ていたということはできないというべきである。また、被告会社が被告渡辺が渡辺車を通勤のために使用することを黙認していたということもできない。したがつて、被告会社には、本件事故につき、民法七一五条による責任も、自賠法三条による責任も、認めることはできない。

四  損害額等

1  後遺症の程度等

証拠(甲二、三、五、六、一〇、一一、一二の1、一四の1及び2、原告晴子本人)によれば、以下の事実が認められる。

原告晶彦は、昭和六〇年一〇月一三日生まれの男子であり、本件事故当時、七歳の小学校二年生であつた。同晶彦は、本件事故により、外傷性脳損傷(外傷性くも膜下出血)を被り、東京都立墨東病院に、本件事故の日である平成五年八月二〇日から同年一一月二二日まで入院した。同原告は、入院当初の三五日間は、髄膜炎により意識障害が生じ、その後、意識は戻つたが、左上肢及び下肢の運動麻痺による機能障害、構音障害、音声障害、記銘力低下の障害が残つた。同原告は、同年一一月二二日、東京都立北療育医療センターに転院してリハビリ治療を受け、同年一二月一三日、その症状が固定し、平成六年三月三一日に退院した。その後同年四月一日から同年六月二三日まで、同病院に通院した。同原告は、歩行のためのリハビリ治療を受け、同年二月二一日には、歩行補助器具として左短下肢装具を付ければ、独歩することができるようになり、同年三月二二日、東京都から、疾患による左下肢機能障害及び左手指機能障害の障害名で、身体障害程度等級を三級とする身体障害者手帳の交付を受けた。同晶彦は、平成七年一月ころからは、昼間は装具を付けずに歩くことができるようになつたが、アキレス腱が固まらないようにするため、夜間はなお装具を付けたまま寝ており、また左手と左足の麻痺は残つており、左手で細かい動きをすることはできない。

原告晶彦は、平成六年四月からは、原告晴子の送り迎えで小学校に通うようになつたが、平成七年一一月からは、雨や雪の日など、月二、三回のみ原告晴子が送り迎えをし、その他の日は、原告晶彦の姉が、同晶彦と共に登校するようになつた。原告晶彦の勉強のレベルは、クラスで中程度であり、理解力も学習意欲もあるが、物の組み立て等が自分ではできず、また、体育ではボール運動等できないことが多い。平成六年六月二三日の時点で、右後遺障害のため、更衣、入浴及び排泄には介助が必要であると診断されたが、平成八年一月二五日の時点では、原告晶彦は、学校で大便をした場合には自分で拭いている。

以上からすると、同原告の後遺症の程度は、自賠法施行令第二条後遺障害別等級表第七級に相当し、その労働能力喪失率は五六パーセントとするのが相当である。

2  損害額

(一) 入院付添費 四七万五〇〇〇円

証拠(原告晴子本人)によれば、原告晴子は、同晶彦が東京都立墨東病院に入院していた期間九五日間のうち、同晶彦がICUに入つていた間は、控室で待機しながら、面会を許される朝昼晩の各一時間は同晶彦に付添い、同晶彦がICUを出た後は、医師の指示のもとに二四時間の付添い看護をしたこと、東京都立北療育医療センターに転院した後は、同センターが障害児の自立を目的とした病院であつて原則として親の付添いを認めないことから、入院中の付添い看護には当たらなかつたことが認められる。右付添費は、一日当たり五〇〇〇円とするのが相当であるから、右金額となる。

5,000×95=475,000

(二) 入院雑費 二九万一二〇〇円

前記1のとおり、原告晶彦は、平成五年八月二〇日から平成六年三月三一日までの二二四日間入院した。一日当たりの入院雑費は一三〇〇円とするのが相当であるから、右金額となる。

1,300×224=291,200

(三) 歩行補助器具代 六二万五七九一円

前記1のとおり、原告晶彦は、平成七年一月までは、歩行のために歩行補助器具を必要とし、それ以降も、アキレス腱が固まらないようにするために右器具を必要とする。

(1) 平成五年分 五万四六一五円

甲一二の2により認める。

(2) 平成六年分 四万三五六八円

甲一二の3により認める。

(3) 平成七年分 四万五四五一円

甲一二の5により認める。

(4) 一〇歳から一九歳までの分 三二万三〇五六円

右のとおり、平成七年当時の歩行補助器具代は四万五四五一円であるところ、一〇歳から一九歳までの九年間は、身体の成長に合わせで毎年右器具を作り替える必要があることから、一年に一度の割合でこれを購入するものとし、中間利息の控除について、ライプニツツ係数を用いて計算すると、右金額となる。

45,451×7.1078=323,056

(5) 二〇歳から七〇歳までの分 一五万九一〇一円

右のとおり、平成七年当時の歩行補助器具代は四万五四五一円であるところ、二〇歳から病状固定時の平均余命である七〇年間は、五年に一度の割合で購入するものとし、中間利息の控除について、ライプニツツ係数を用いて計算すると、右金額となる。

45,451×3.5005=159,101

(四) 将来付添費 なし

前記1で認定した事実によれば、同原告の後遺症の程度は、付添い介護を要するほど重篤な状態にあるものとは認められない。もつとも、同原告が現在なお児童であつて、実際上は原告正及び同晴子が手助けをすることが多いことに鑑み、これを後遺症慰謝料で斟酌することとする。

(五) 入療費 六万一六〇〇円

甲一五の1ないし4により認める。

(六) 後遺症逸失利益 三四三〇万一八五一円

原告晶彦は、本件事故に遭わなければ、一八歳から六七歳まで就労し、少なくとも毎年、平成五年度の賃金センサス第一巻第一表男子労働者学歴計企業規模計全年齢平均の年収五四九万一六〇〇円を得ることができたと推認される。そして、前説示のとおり同原告は本件事故による後遺障害のため五六パーセントの労働能力を喪失したことから、ライプニツツ方式により中間利息を控除して、その逸失利益を算定すると、右金額となる。

5,491,600×0.56×(18.8757-7.7217)=34,301,851

(七) 入院慰謝料 二五八万円

前記1のとおり、原告晶彦は、平成五年八月二〇日から平成六年三月三一日までの二二四日間入院した。同晶彦の受傷の程度、その入院期間等に照らすと、原告らが主張する右金額を認めるのが相当である。

(八) 後遺症慰謝料 一〇〇〇万円

前記1で認定した原告晶彦の後遺症の程度、及び前記5の事情からすると、右金額を認めるのが相当である。

(九) 近親者慰謝料 なし

前記1で認定したとおり、事故直後の原告晶彦の状態は重篤であつたことは事実であるが、その後同原告の病状もやや固定し、七級相当の後遺症を残す程度に至つたことからすると、同原告がその死亡にも比肩すべき損害を被つたとは認められないし、同原告には前示の各慰謝料を認めたことも参酌すると、原告正及び同晴子の固有の近親者慰謝料は認められない。

3 過失相殺

以上の原告晶彦の損害額の合計は四八三三万五四四二円となるところ、前記二で認定したとおり、原告晶彦の過失割合は四割であるから、過失相殺後の損害額は、原告晶彦につき二九〇〇万一二六五円となる。

4 損害の填補 六一六万円

本件事故による原告晶彦の損害の填補として、自賠責保険金(九級相当)が支払われた。

5 弁護士費用

本件事案の内容、審理の経緯、受傷の程度等、本件事故に顕れた一切の事情を考慮すれば、原告晶彦につき、二二〇万円を認めるのが相当である。

第四結論

以上によれば、原告晶彦の請求の、被告渡辺に対する請求は、二五〇四万一二六五円及びこれに対する本件事故の日である平成五年八月二〇日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余の請求は理由がないからこれを棄却し、被告会社に対する請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行宣言について同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 南敏文 竹内純一 波多江久美子)

現場見取図

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